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テレサ・テンから周杰倫へ─台湾ポップス黄金時代の軌跡と魅力

  • 執筆者の写真: Bai老師
    Bai老師
  • 6月18日
  • 読了時間: 12分

更新日:7月25日

台湾と聞いて、どんな音楽を思い浮かべますか?

「テレサ・テン(鄧麗君)?」と答える方が多いかもしれません。日本でも高い人気を誇る彼女は、実は台湾出身の歌手です。今もカラオケで歌い継がれている名曲《時の流れに身をまかせ》は、日本で大ヒットし、台湾でも大ヒットした《我只在乎你》の原曲なのです。

このように、台湾の音楽は昔から日本人の暮らしのそばに存在してきました。しかし、台湾の音楽シーンは決して「懐かしの昭和風」のまま止まっているわけではありません。70年以上の歳月を経て、台湾ポップスは独自の進化を遂げ、今や世界中の音楽ファンを魅了する豊かな文化となっています。

この記事では、テレサ・テンを出発点として、台湾ポップスがどのように変化し、発展してきたのか──その歩みを詳しくたどってみましょう。

📖 目次

Modern building view of the Taipei Arena in Taiwan
台北アリーナ

テレサ・テン以前と以後:台湾音楽「自分たちの歌」の探求

台湾のポピュラー音楽を語る上で避けて通れないのが、1949年という歴史的な転換点です。中国大陸で音楽活動が厳しく制限される中、多くの音楽人や文化人が台湾に移住しました。この大きな人の流れによって、台北は新たな華語ポップスの中心地として生まれ変わることになったのです。

1960年代に入ると、テレビという新しいメディアの力で音楽シーンが一変します。テレビ歌番組《群星会》が放送を開始し、台湾全土に音楽を届ける重要な役割を果たしました。この番組に、わずか15歳という最年少でゲスト出演したのが、後に「アジアの歌姫」と呼ばれるテレサ・テンでした。彼女の透明感のある歌声は、瞬く間に人々の心を捉え、台湾音楽史における新たな扉を開いたのです。

1970年代は台湾音楽にとって「アイデンティティ模索の時代」でした。国際社会における台湾の地位が揺らぐ中、若者たちは依然として欧米や日本の音楽に強い影響を受けていました。しかし、この時期に重要な変化が起こります。「私たち自身の言葉で歌いたい」という意識が、徐々に若いミュージシャンたちの間で高まり始めたのです。

旧上海風の歌謡や翻訳曲が主流だった時代に、華語によるオリジナル楽曲が模索されるようになりました。この動きは台湾だけにとどまらず、シンガポールやマレーシアなど東南アジアの華人社会にも波及していきます。テレサ・テンの歌声は、まさに台湾ポップスと上海時代の音楽をつなぐ重要な架け橋となり、華語圏全体の音楽文化の発展に大きな影響を与えました。

1970年代半ば以降、台湾の音楽シーンには象徴的な二つの大きな流れが生まれます。一つ目は、大学キャンパスから自然発生的に広まった「台湾民歌(ミンガー)」ブームです。個人の生活や台湾の日常をシンプルで親しみやすい言葉で歌うこのスタイルは、多くの若者の共感を呼び、後の台湾ポップスの重要な源流となりました。

二つ目の流れは、それまで西洋音楽に携わっていた音楽家たちが、華語ポップスの世界に回帰し始めたことです。これにより音楽表現の幅が大きく広がり、制作面でも専門化・多様化が進みました。この二つの流れが合流することで、台湾独自のポップスの基盤が形作られていったのです。

1980年代は台湾音楽の「商業的成熟期」として位置づけられます。台湾の急速な経済成長と並行して、音楽産業も本格的な商業化の道を歩み始めました。制作体制が整備され、レコード会社同士の健全な競争も生まれます。この時代の最も重要な変化は、音楽が単なる娯楽を超えて「感情を表現する手段」としての価値観が社会に根付いたことでした。創作の自由度が飛躍的に高まり、アーティストたちはより個性的で多様な表現を追求できるようになったのです。

1990〜2000年代:台湾ポップスが築いた「黄金時代」

冷戦が終結した1990年代は、台湾ポップスにとって劇的な変化の時代でした。CDという新しい音楽メディアの普及をはじめとする技術革新が音楽の流通を根本的に変え、台湾の音楽は一気にグローバル化の波に乗ることになります。

この時代のもう一つの重要な出来事が、1990年に創設された「金曲奨」の誕生です。台湾政府が主催するこの音楽賞は、「中華圏のグラミー賞」とも呼ばれ、台湾音楽界で最も権威ある賞として瞬く間に定着しました。金曲奨の存在は、台湾の音楽市場全体に活気をもたらし、アーティストたちの創作意欲を大いに刺激することになったのです。

この華やかな時代の中心で輝いていたのが、張惠妹(アメイ)周杰倫(ジェイ・チョウ)、そして五月天(Mayday)といった、今も語り継がれる伝説的なアーティストたちでした。

張惠妹は1996年のデビュー作『姊妹』で衝撃的なスタートを切りました。台湾原住民出身という背景を持つ彼女の力強く情感豊かな歌声は、それまでの台湾ポップスにはない新鮮さをもたらしました。デビューアルバムは台湾だけで121万枚という驚異的なセールスを記録し、彼女は一躍「台湾女性歌手のアイコン」となります。日本では「台湾の安室奈美恵」とも称され、その圧倒的なステージパフォーマンスとボーカル力は、アジア全域の音楽シーンに強烈なインパクトを与えました。

一方、2000年に颯爽と登場した周杰倫は、台湾ポップス界に革命をもたらしました。R&B、ヒップホップ、そして中国の伝統音楽要素を巧みに融合させた彼の音楽は、それまで誰も聞いたことのない斬新なサウンドでした。特に「中国風」と呼ばれる楽曲群では、古典的な中国文化の美しさを現代的なポップスの枠組みで表現し、若い世代に伝統文化への新たな関心を呼び起こしました。彼の登場により、台湾ポップスは単なる娯楽音楽を超えて、文化的なメッセージを発信する力を持つようになったのです。

五月天は、また違った角度から台湾音楽シーンに新風を吹き込みました。青春の悩みや人生の葛藤を、親しみやすい言葉とパワフルなロックサウンドで歌い上げる彼らの音楽は、多くのリスナーの心を捉えました。特に重要だったのは、彼らが西洋的なロック音楽と台湾の「日常の言葉」を自然に融合させ、台湾独自のロック表現を確立したことです。これにより、ロック音楽が台湾の若者文化により深く浸透していくことになりました。

この1990年代から2000年代にかけての時期は、台湾ポップスが音楽的にも商業的にも豊かさを極めた時代として、後に「黄金時代」あるいは「最後の全盛期」と呼ばれるようになります。この時代の台湾ポップスは、単に台湾国内で愛されるだけでなく、香港、シンガポール、マレーシア、そして中国大陸まで含めた華語圏全体に大きな影響を与える文化的な力を持っていたのです。

音楽から感じる、台湾華語の魅力

台湾の音楽を深く理解するためには、その背景にある言語の特性を知ることが欠かせません。台湾で話される華語は、中国大陸の普通話と基本的には同じ言語でありながら、独特の魅力を持っています。

最も特徴的なのは、台湾華語の「柔らかく、優しい」響きです。これは単なる印象ではなく、実際の言語的特徴に基づいています。台湾華語では語尾に「〜喔(o)」「〜啦(la)」「〜嗎(ma)」といった語気助詞が頻繁に使われ、これらが会話全体に親しみやすさと温かみを与えています。まるで話すこと自体が音楽のように聞こえることもあるほどです。

この言語の特性は、楽曲の歌詞や歌唱法に大きな影響を与えています。台湾のポップスを聞いていると、歌詞の中に自然に込められた感情の機微や、メロディーラインに溶け込んだ言葉の音楽性を感じることができます。これこそが台湾独特の「声の質感」を生み出している要因なのです。

例えば、テレサ・テンの歌声が多くの人に愛され続けているのは、彼女が台湾華語の持つ柔らかさと音楽性を完璧に体現していたからだと言えるでしょう。また、現代のアーティストたちも、この言語的特性を活かしながら、それぞれ独自の表現を追求しています。

台湾華語を学んでいる方にとって、音楽は言葉の背景にある文化を体感する最も自然で楽しい入り口の一つです。教科書では学べない生きた表現や、感情を込めた話し方のニュアンスを、楽曲を通じて自然に身につけることができるのです。

現在:インディーズ音楽と「台湾らしさ」の再発見

2010年代以降の台湾音楽シーンは、新たな多様性の時代を迎えています。メインストリームのポップスが成熟する一方で、より自由で実験的な表現を追求するインディーズ音楽が急速に台頭してきました。

この変化は単なる音楽スタイルの多様化にとどまりません。多くの若いアーティストたちが音楽を通じて「台湾とは何か」「私たちのアイデンティティとは何か」という根本的な問いかけを行っているのです。この傾向は、台湾が民主化を経て政治的・社会的な自由を獲得した後の、文化的な自己探求の表れとも言えるでしょう。

草東沒有派對(No Party For Cao Dong)は、この新しい世代を代表するバンドの一つです。彼らの楽曲は、現代都市で生きる若者が抱える孤独感や不安、社会への疑問を繊細かつ力強く描き出しています。特に注目すべきは、彼らが商業的な成功よりも芸術的な表現を重視し、既存の音楽業界の枠組みにとらわれない活動を続けていることです。

一方、百合花樂團(Lilium)のような台湾語ロックバンドの登場は、言語的なアイデンティティの再発見という側面で重要な意味を持っています。彼らは台湾語という母語を現代のロック音楽の中で蘇らせ、土地の記憶や文化を音楽を通じて次の世代に伝えようとしています。

茄子蛋(EggPlantEgg)の成功は、現代のメディア環境における音楽の新しい可能性を示しています。彼らはテレビや雑誌といった従来のメディアに頼ることなく、インターネットを通じて音楽を広め、短期間で大きな支持を獲得しました。金曲奨で新人賞と台湾語アルバム賞のダブル受賞を果たした際、多くのメディアが彼らの詳細な情報を持っていなかったというエピソードは、音楽業界の構造的変化を象徴する出来事として語り継がれています。

これらの新世代アーティストたちの作品に共通しているのは、単なるエンターテインメントを超えて、台湾社会の現在と向き合う真摯な姿勢です。彼らの音楽には、政治、環境、世代間の価値観の違い、グローバル化の中でのアイデンティティの模索など、現代台湾が直面している様々な課題への深い洞察が込められています。

よくある質問:台湾ポップスをもっと知るために

台湾ポップスと中国のポップスに違いはありますか?

確かに大きな違いがあります。台湾ポップスの最大の特徴は、その自由度の高さにあります。政治的・社会的なメッセージを歌詞に込むことも許容され、アーティストは自分の信念や社会への問題意識を率直に表現することができます。音楽的にも、西洋音楽、日本音楽、伝統中国音楽など、様々な要素を自由に取り入れた実験的な作品が多く生まれています。また、インディーズ音楽シーンの発展も著しく、商業的成功にとらわれない芸術的な表現が数多く生まれています。

台湾華語の学習に音楽は本当に効果的なのでしょうか?

音楽を使った言語学習は非常に効果的です。特に台湾華語の場合、楽曲を通じて自然な発音やイントネーションを身につけることができます。また、教科書には載っていない感情表現豊かな語彙や、実際の会話で使われる自然な表現を学ぶことができます。さらに重要なのは、歌詞の背景にある台湾の文化や社会情勢を理解することで、言葉の持つ深いニュアンスを体感できることです。楽しみながら学習を続けられるという点も、音楽学習の大きなメリットです。

どの時代の台湾ポップスから聞き始めるのがおすすめですか?

学習や鑑賞の目的によって異なりますが、語学学習が目的なら1990年代から2000年代の楽曲がおすすめです。この時期の音楽は発音が明瞭で、歌詞もわかりやすく、台湾華語の基本的な特徴を学ぶのに適しています。台湾の文化や歴史を深く理解したいなら、1970年代の民歌運動から現代まで時系列で聞いていくと、台湾社会の変遷を音楽を通じて体験できます。現代の台湾を理解したいなら、2010年代以降のインディーズシーンに注目することをおすすめします。

金曲奨とはどのような賞なのですか?

金曲奨(ゴールデン・メロディー・アワード)は1990年に始まった、台湾政府文化部主催の音楽賞で、「中華圏のグラミー賞」とも呼ばれています。この賞の最も重要な特徴は、その審査の公正さにあります。アーティストの出身地や商業的な売上に関係なく、純粋に音楽的な質のみで評価が行われます。政府主催でありながら、政府批判の楽曲が受賞することもあり、その政治的中立性は高く評価されています。受賞することで中華圏全体での認知度が格段に上がるため、多くのアーティストが目標とする権威ある賞です。

おわりに:音楽を通して出会う、本当の台湾

台湾の音楽は、この島の複雑で豊かな歴史を映し出す鏡のような存在です。テレサ・テンの優雅で普遍的な愛の歌から、周杰倫の革新的で文化横断的なサウンド、そして現代インディーズバンドたちの社会派メッセージまで、台湾ポップスは常に時代と共に歩み、変化し続けてきました。

この音楽の変遷を辿ることは、台湾という社会が歩んできた道のりを理解することでもあります。政治的な制約の中で「自分たちの歌」を模索した1970年代、経済成長と共に文化的な自信を深めた1980年代、グローバル化の波に乗って世界に羽ばたいた1990年代、そして多様性と自由を謳歌する現代まで、それぞれの時代の喜びや悩み、希望や不安が音楽の中に込められています。

もしあなたが台湾華語を学んでいるなら、音楽はその言葉の背景にある文化を知る最も自然で楽しい方法の一つです。歌詞に込められた思いや、メロディーに託された感情を理解することで、教科書では決して学ぶことのできない生きた台湾文化に触れることができるでしょう。

台湾の音楽シーンは今も進化を続けています。新しいアーティストたちが台湾のアイデンティティを模索しながら、独自の表現を生み出し続けているのです。彼らの音楽を聞くことは、現在進行形の台湾文化に参加することでもあります。

次回は、今最も注目されている台湾インディーズシーンをより深く掘り下げ、新世代アーティストたちの音楽的チャレンジと社会的メッセージについて詳しくご紹介します。台湾音楽の「今」と「これから」を一緒に探求していきましょう。どうぞお楽しみに。 参考資料:

  • 郭信明(2011).『30年來台灣唱片在做什麼?(台湾レコード30年の軌跡)』

 
 
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